未完成の美しさ。
少し燻んだ白い隼は純粋で透明な音を響かせる。
時には研ぎ澄まされた爪を見せ、攻撃的な一面もあるが、やはりどこか甘く優しい。
この世に完璧な物などないと私は思う。
完璧という基準をどこに置くかで変わるかもしれないが、私は完璧な物などこの世に存在しないと思っている。常に進化が続く時代だ。
むしろどこか欠点がある方がニンゲンは魅力を感じる物ではないだろうか。
未完成のその先。
ニンゲンは想像させられる、想像することに魅力を持つ。
欠点とは言っても様々な種類の欠点がある。
例えば「桜」。
桜は美しい。
しかし、一年の中で桜が顔を見せるのはたった二週間程だ。
あれ程美しい桜は二週間しか顔を見せない。
この二週間しか保たないというのは欠点かもしれないが、ニンゲンはこの限られた美しさに魅力を感じ、季節を感じ、桜を好む。
これがもし一年の中で半年間顔を見せる花なら、ここまで桜に対して特別感は抱かないだろう。
桜は早々に散るから美しい。
まさに壊れる物の儚さと美しさだ。
私が所持しているギター、「ホワイトファルコン」。
これは世界一美しいと言われているギターだ。
しかしこいつもまた完璧なギターではない。
私のホワイトファルコンはシングルコイルであり、ハウリングを起こしやすい。
尚且つ高音のフレットは弾きにくい。
という欠点を持っている。
だが、このハウリングと弾きにくさもまたこいつの魅力だ。
高音が弾きにくいネックだって、この分厚さがあるからこその美しいギター。
それに高音を弾く時は少しヘッドを落として弾く。この弾いている姿もまたこいつならではの味である。
私が今このブログを打っているiPhoneだって常に新型が出続ける。
車も家電もPCも常に進化を求めて、完璧を求めて研究が進んでいる。
これもこれで美しい事だが、未完成なアナログ機器にはそれはそれで良さがある。
旧型を好んで使用する人も多いだろう。
それはその未完成が出す味であったり、懐かしさ、何か特別な魅力があるからだ。
未完成な物ほどどう化けるかは誰にも想像出来ない。だからこそ未完成のまま潰しちゃいけない。
未完成は伸び代しかない。
だからこそTheRoarのT.O.Mの成長は私自身も恐れている。
どんな化け物を産み出すかは私達TheRoarも理解不能である。
ニンゲンとは不思議だ。
もしかしたらニンゲンは完璧を目指しながら未完成を求めているのかもしれない。